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Re: 『乾州岡田君行状』について

 投稿者:管理人  投稿日:2020年 9月16日(水)14時11分45秒
返信・引用 編集済
  指摘ありがとうございました。

丁寧に読んでいただき感謝です。地味なテーマなのでどれだけの人が興味をもってくれるか心配だったのですが、少し安心しました。
不良箇所が多くて、どうやら、たたき台提供になったようです。それはそれでよかったと思います。
これで完全に近づけば初めて公開した甲斐があるというものです。

ほとんどご指摘どおりですが、少しだけ抵抗します。
「己」は「已」が正しいと5か所指摘されていますが、そのうちP8L10,P9L3,P10L11の3か所は原本が「己」に見えます。意味からすれば「己」は「已」の誤字かと思います。ほかの人の文でもままある
ので、一般にあまり気にしなかったのかもしれません。原文の3か所は誤ったままとし、2か所は訂正
します。
訳文は「已」(イ、スデに)と解釈して訳しているので、5か所とも訂正の必要はないようです。

己/已以外の4か所は原文を訂正します。

「學校讀師」「祗役」のご教示いただいてよかったです。字句の項を加筆訂正します。
文字も「袛」より「祗」のほうがいいようです。

「養蠧書屋」の「蠧」は、漢和字典に「きくいむし」しかないのでそのままもってきましたが、ここはやはり意味を汲んで「しみ(紙魚)」としたほうがよかったです。字句の項を直します。
「棋局消長夏」については、温敬公(前田斉泰)に蘇軾(蘇東坡)の大本があるとは知りませんでした。乾州がどちらから取ったか。あるいは両方知っていた可能性が大でしょうか。

ついでに、サイト「櫻井錠二」にある『乾州岡田君行状』の解釈は終盤おかしい箇所があるので書いておきます。
・読書界では「養蠧書屋」<ヨウトショヤ=虫喰書物という意味>随筆は数十巻あり
 <ヨウトショオク>がいいか。文章は意味がよく分からない。
・温敬公の書「棋局消長夏の語」から付ける
 現物を見ないことには断定できないが、"「棋局消長夏」の語から付ける”が正しいのではないか。
このほかに
・「樓四望」世間では「碧樓」と云われた。(原文 "居ル所ノ樓四望皆碧樓ト云”)
 1つ目の「樓」を樓の名前の一部とし、名前を分割して真ん中の「皆」を世間と読んでいる。
 "居住した樓を「四望皆碧樓」という”が正しいと思う。
・「消夏堂」主人の号がある
 "「消夏堂主人」の号がある”が正しい。










 
 

『乾州岡田君行状』について

 投稿者:おかもと  投稿日:2020年 9月14日(月)21時12分39秒
返信・引用 編集済
  『乾州岡田君行状』について、いくつか気がついた点を書きます。

P8 L10  藩侯己ニ → 藩侯已ニ(己→已)
P9 L3   百石己下 → 百石已下
P9 L4   東京二(漢数字の二) → 東京ニ(カタカナのニ)
P9 L5   維新己来 → 維新已来
P9 L9   藩君ヲ撰ヒ → 藩君ヲ擇ヒ
P10 L4  藩己ニ  藩已ニ
P10 L11 中年己來 → 中年已來
P11 L5  理否ヲ辨ス → 理否ヲ辯ス
P12 L9  脇田其ノ女 → 脇田某ノ女

P2に出てくる「學校讀師」は、当時の学校(加賀金沢藩の明倫堂)の教員の身分に「読師」があるので、これのことではないかと思います。
参照:明倫堂#加賀金沢藩の明倫堂 (Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%80%AB%E5%A0%82#%E5%8A%A0%E8%B3%80%E9%87%91%E6%B2%A2%E8%97%A9%E3%81%AE%E6%98%8E%E5%80%AB%E5%A0%82

P7に出てくる「袛役」ですが、『角川漢和中辞典』には「祗役」として、次のようになっていました。

【祗役】しえき 〈国〉江戸時代の勤番のこと。江戸に参勤する主君に従って江戸勤めをすること。

『乾州岡田君行状』では明治2年のことですが、江戸勤めという意味は同じではないかと思います。

P12に出てくる「養蠧書屋」の「蠧」は、「きくいむし」の意味もありますが、「しみ(紙魚)」のほうがふさわしいかもしれません。
また、陸義猶は「消夏堂」の由来として、温敬公(前田斉泰)の書にある“棋局消長夏”から取ったとしていますが、蘇軾(蘇東坡)の漢詩「司馬君實獨樂園」に“棋局消長夏”という句があるので、大本はこちらの詩かもしれません。
参照:国訳漢文大成. 続 文学部第55冊 蘇東坡詩集 二の三 (国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1140518/92
 

『乾州岡田君行状』訂正

 投稿者:管理人  投稿日:2020年 9月13日(日)13時22分40秒
返信・引用 編集済
  金子義隆さんから『乾州岡田君行状』原文について誤りの指摘がありました。
  P1 L4 子其初メ →子某初メ
    P4 L3 故ニ宣シク→故ニ宜シク
    P8 L9 宣キニ  →宜キニ
ご指摘のとおりなので訂正します。

訳文についても訂正します。
  P1 L4 利長の子は→利長の子某は
 

Re:曲詰「王玉」

 投稿者:管理人  投稿日:2020年 9月 5日(土)12時00分25秒
返信・引用 編集済
  曲詰「王玉」の情報ありがとうございました。
きょうupしました。
この「玉」は実際はギョクではなく、4人による「オトシ玉」という連作の一部で、タマでした。
「作意」には添わない形で取り上げることになるのでちょっと考えましたが、やはり「王玉詰」のメンバーですよね。
 

曲詰「王玉」

 投稿者:EOG  投稿日:2020年 8月26日(水)15時05分52秒
返信・引用
  将棋世界2004年2月号添川公司が詰上り「玉」のあぶり出しです。  

初代大橋宗桂図式50局本

 投稿者:金子義隆  投稿日:2020年 8月14日(金)18時19分51秒
返信・引用 編集済
  伝慶長版と呼ばれる初代宗桂図式50局本。
小杉次郎の「古棋書蒐集目録」(將棋日本1938年12月~39年10月)の冒頭に出てきます。
「將棋圖式/傳慶長版/半紙幅廣形一巻/初代宗桂圖式五十番/詰方棋子駒形の内に白字/解なし、序、跋なし」これが全文です。
山本亨介『将棋文化史』(1963年5月朝日新聞社)に当時の所蔵者・西村英二の名前と第2番第3番の写真が掲げられています。見ると、第3番の玉方14歩も黒駒白抜きになっていて、首尾一貫していないのではないかと思うのですが。
筑摩書房版(1980年12月)にはこの写真はありません。

詰将棋パラダイス1981年2月号に福田稔氏が、これこそ伝慶長版ではないかとして陽明文庫の50局本を紹介されました。そして西村本は、「元禄期以降の板木技術による書と見ざるを得ない」と書かれています。真正の伝慶長版は陽明文庫本で、西村本は異本という扱いになりました。
その後、増川宏一氏が『ものと人間の文化史 23-ll 将棋ll』(1985年1月法政大学出版局)の中で「言経卿記」に、初代大橋宗桂が慶長7年、公家の山科言経を通じて後陽成天皇に図式50番を献上したという記述があることを指摘され、陽明文庫の50局本が慶長版であるとの有力な証拠となりました。
慶長7(1603)年12月3日の「言経卿記」に「一、少(ママ)將棊指宗桂來了、少(ママ)將棊作物五十、一冊 禁中へ進上申度之由申來了、予一冊与之、餅・酒相伴了」とあるのがそれです。
「詰将棋の散歩道」第17回(磯田氏)にこの辺りのことがまとめられていますので、一読をお勧めします。

前振りが長くなりましたが、7月末、国文学研究資料館の「新日本古典籍総合目録データベース」で検索ボックスに「将棋」と入れて調べてみたところ、鳥取県立図書館中村文庫に『将棊書』という本があることが分かりました。このデータベースは何度も利用したことがあるのですが、新たに追加されたものか、以前はこの本はなかったような気がします。
書名から詰将棋関係ではなさそうでしたが、画像付きだったので念のため開いてみてビックリ。陽明文庫本と同じ図、同じ配列なのです!
手跡もよく似ているのですが次のような違いがあることが分かりました。
第20番 全体が一路左に寄っている。
第21番 陽明は19成香、鳥取は19成桂(西村本と同じ)。
第25番 鳥取は持駒の並びが左から右になっている。
鳥取は陽明に比べて盤端と持駒の間の間隔が狭い。
というところでしょうか。あっさりした体裁からして、これも陽明文庫本の異本ということになりそうですが、26.8×20㎝の陽明文庫本よりほんの少し大きいようです。ちなみに西村本は24×18㎝とのことで、いわゆる半紙判です。余談になりますが、江戸中~後期の大蔵書家だった屋代弘賢の書籍目録に「象戯圖式/慶長板/小本」という記述があります。小本は半紙判の半分の大きさなので、陽明文庫本、西村本とも違います。
なお、中村文庫というのは1997年に中村肇という方が蔵書を寄贈されたことによる命名です。明治37年生まれ(当時ご存命なら92、3歳)で材木会社の社長さん、というのは鳥取県立図書館に電話して教えてもらいました。

https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100295830/viewer/1
 

松本浩一作品「計都」up

 投稿者:管理人  投稿日:2020年 8月 7日(金)15時28分57秒
返信・引用 編集済
  松本浩一さんの作品「計都」を「詰め物・読み物」コーナーに紹介します。
松本さんは昨年6月「暁将棋部屋」4号に貧乏都煙「豹尾」を発表しました。
「計都」は「豹尾」の初形配置に金銀8枚を埋め込んで全駒都煙に改作したものです。
松本さんからこの「計都」を当サイトに載せたいと申し出があって、喜んでお受けしました。
「豹尾」も並べておきますので併せてお楽しみください。
 

Re: 岡田丈太郎が国会図書館に寄贈した本の冊数

 投稿者:管理人  投稿日:2020年 5月10日(日)14時11分8秒
返信・引用 編集済
  詳細な報告、ありがとうございます。

「詰将棋の散歩道」第63回の段階では、寄贈書を全部はチェックできていなくて正確な件数を把握していませんでした。その後全部に目を通して、結果を磯田にとっての「詰将棋の散歩道」連載最終回で報告しました。
おかもとさんの投稿の題名「岡田丈太郎が国会図書館に寄贈した本の冊数」に関係のある内容なので書いておきます。

第76回 「詰将棋の散歩道」拾遺  http://1banboshi.on.coocan.jp/page09-01(76).htm

寄贈印があったのは、303件(刊本98、写本154、刊写合冊1、単片47、雑誌3)としています。
300余(種)、347(冊枚綴)、300超(件)→303(件)、405(冊枚)といろいろ出てきましたが、事実の違いより数え方の違いと考えていいでしょう。

『寄贈書類領収書原簿』とは! こんなものがあるなんて。公開早々によく見つけましたね。
個々の本に押されたゴム印しかなかった岡田丈太郎の寄贈のことが正式な書類上で確認できました。
 

岡田丈太郎が国会図書館に寄贈した本の冊数

 投稿者:おかもと  投稿日:2020年 5月 6日(水)15時17分58秒
返信・引用 編集済
  国立国会図書館は、古い将棋書をたくさん所蔵しています。そのうち、岡田丈太郎が寄贈した岡田乾州の旧蔵書は有名で、磯田征一氏が「詰将棋の散歩道」の第60回と第63回で紹介しています。

第60回 お見事! 岡田乾州波乱の人生 http://1banboshi.on.coocan.jp/page09-01(60).htm
第63回 岡田乾州の遺した棋書 http://1banboshi.on.coocan.jp/page09-01(63).htm

岡田乾州の伝記『乾州岡田君行状』によると、岡田乾州が収集した本の冊数は「三百餘種」とのことです。

> 平生讀書ヲ嗜ミ渉獵スル所甚タ多シ殊ニ象棋書ヲ觀ルヲ喜ヒ其採集スル所ノ者三百餘種 其中百十七種ハ板本自餘ハ皆ナ其手寫スル所ナリ

『乾州岡田君行状』p11より https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900077/7

また、国会図書館に寄贈された本には「岡田丈太郎 寄贈本」という印が押されていて、その冊数は、磯田氏によると300件ほどあるようです。

一方、「国立国会図書館デジタルコレクション」 https://dl.ndl.go.jp/ の「特殊デジタルコレクション - 帝国図書館文書」では、国会図書館の内部資料がデジタル化して公開されています。
この中に『寄贈書類領収書原簿』という本があります。これは2020年4月1日に公開されたものですが、題名を見ると、寄贈された本に対して国会図書館が出した領収書の原簿のようです。これをチェックしたところ、明治32年の項に、岡田丈太郎から本を寄贈されたときの記録がありました。

> 甲第五三九號
> 岡田丈太郎寄贈 卅二、十一、六 横濱市北仲通四丁目六十六番地
> 一将棊書二百二十冊、百二十六枚、壱綴

『寄贈書類領収書原簿. 明治18年-明治38年』87コマより https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11447396/87

これを見ると、横浜市の岡田丈太郎から、明治32年11月6日に、将棋の本220冊、126枚、1綴を寄贈されたと書かれています。
このうち、220冊は普通の本の冊数(おそらくタイトル数)でしょう。また、126枚は将棋番付など1枚物の枚数で、1綴は将棋会の開催告知を綴じた『将棋會披露綴』 https://id.ndl.go.jp/bib/000010609183 で、全部合わせて「三百餘種」になるのでしょう。

ただ、国会図書館では、寄贈された後に保存のため本を合冊して製本するなどの処置をしているので、実際の冊数はこの数字とは異なるようです。『帝國圖書館年報摘要』の明治32年度を見ると、「書籍及報告書雜誌新聞紙等寄贈者名」の「書籍」の項目に、次のように書かれています。

> 岡田丈太郎 三八九 枚 一六

『帝國圖書館明治三十二年報摘要』のp7より https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/897118/14

これによると、岡田丈太郎から寄贈されたものは389冊と16枚で、これが国会図書館が実際に受け入れた冊数(タイトル数ではなく、物理的な冊数)と思われます。

なお、磯田征一氏が作成した「国立国会図書館所蔵 全詰将棋書リスト」を見た感じでは、請求記号の 209-346 から 209-606 が岡田丈太郎から寄贈された本で、請求記号の 202-124 から 202-137 が岡田丈太郎から寄贈された1枚物に該当するようです。

国立国会図書館所蔵 全詰将棋書リスト http://1banboshi.on.coocan.jp/page03.htm#page03-02


追記

岡田丈太郎が寄贈した本には、「岡田丈太郎 寄贈本」の印のほかに、中央に「圖」の字がある円形の印が押されています。「圖」の周りには「民贈・明治三二・一一・六」とあるので、これは寄贈年月日を示す印のようです。

『將棋新報. 第1-5集』2コマより https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1911894/2

 

福岡大学図書館

 投稿者:管理人  投稿日:2020年 5月 5日(火)17時53分2秒
返信・引用 編集済
  追加や修正や情報不明本とあちこちに福岡大学図書館のデータをアップしました。
久し振りの大漁です。
発端は金子義隆さんからここに二代宗古図式があることを教えてもらったことでした。
内容が必ずしも全部分からなくても総目録に追加しておきたいのですが、この本は残念なことに刊年が江戸か明治かもはっきり掴めなくて、今後の情報を待つほかありませんでした。
これ以外の蔵書を求めて、福岡大学図書館のネット検索をすると、指棋の古棋書が少々で古図式はありませんでしたが、珍しく明治大正から昭和前期の本がかなりまとまってあって、これまでに知られていない詰棋書も2件ありました。
この時期は意外に棋書の出版が多くて、現代からの調査が行き届いていない感があります。まだまだ埋もれている本があると思っています。
福岡大学OBの詰棋人はいなかったかしら。「資料いろいろ」の中のトップ「古棋書所蔵 図書館・文庫リスト」を見て、自分の母校が載っていない人はぜひご一報ください。できればご自身で母校図書館に昭和20年以前の詰棋書がないか調べていただけると助かります。
詰棋書所蔵館のデータベース作成にご協力ください。
 

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