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中島富治「日本將棋史稿に就いて」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 8月20日(火)18時30分18秒
返信・引用 編集済
  「将棋日本」に連載された三宅青夢「日本將棋史稿」は1937年3月号から始まりました。その号に載った中島富治の開始の辞を転載します。

「将棋日本」は1934年10月号から1939年10月号まで60号発行された大判の雑誌で、創刊号以来毎月2~6題の詰将棋を懸賞出題しています。プロ棋士が中心でしたが、有馬康晴、土屋健、大橋虚士、綿貫英助、清水晶など「將棋月報」で活躍した人の名前が見えます。

筆者の中島富治は元イギリス駐在武官も務めた海軍軍人で、退役後日本将棋連盟(注1)の顧問になり、関根名人と共に実力制名人戦の発足(注2)に功のあった人です。「将棋日本」の創刊に当たって編集顧問に就いていました。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
【日本將棋史稿に就いて】
 日本將棋は一千年の歴史を有して居る。今日の軆制を成してからでも?に四百年。此間國民の生活と離るべからざるまでに根強い根底を作って居るのである。然るに今日迄之れと云う纏まった將棋の歴史の論述せられたることなきは甚だ不思議で且つ遺憾に堪えない處である。當今屢々興味本位の或は賣本本意の史實を發表して愧ぢざるものあるは一つはこの正確なる史實の編纂なきによるものである。將棋もこゝまで來た。どうしてもその歴史を明らかにし、今後の發展に備へねばならぬ。この事は自分が多年考へて居る處ではあるが今以て其の機會を得ることが出來なかった。いつか小菅冠峯翁もこの必要を力説せられ、流石はと自分を感激せしめたのであった。この事業は當然將棋大成會でやるべきものであるが、結成後何かと煩忙に暮れて容易にその運びに到りそうもない。然るに幸いにも、眞に幸いにも、こゝに大特志家が現はれた。それは畫伯青夢三宅鏙吉氏である。
 三宅氏は埼玉縣大宮の小杉治郎氏と共に將棋史研究の双壁であって、同時に將棋文献収藏の大家である。同氣相求めて兩氏は甚だ懇親、常に所藏を展いて智識を交換して居らるゝ。棋界の爲めに眞に結構なことである。
 三宅氏四段樋口善雄君と特別昵懇である。自分は樋口君の紹介によりて、昨年來三宅氏宅に御懇意を願って居る。本誌上の随筆「將棋勿忘草」はこの懇意の所産である。
 一日三宅氏と懇談會々棋史編纂の緊要なるに及んだ、その結果氏はこの際之れが遂行の大事業に奮起すべき決心を申出でられた。願ってもない結構な事なので自分も直ちに賛成して、何かと協力を吝まざるべきを契ったのである。かくして棋道ありて以來はじめて本格的なる棋史の編纂は緒に就いたのである。この著述は差當り本誌上に號を追ふて發表せらるゝことゝなった。この第一筆が本號に掲げられた金玉の文字「日本將棋史稿」である。この事業は素より二年や三年で完了するものではないが、こゝにはじめて日本將棋が立派な歴史の記述を有し得る確信を得たのであって自分の歡喜は例ふるに物もない程である。讀者は、將棋愛好家は悉くこの擧を喜んで下さるこゝと思ふ。
 三宅氏に感謝すると共に、世の好棋家が所藏を秘する事なく、之れを同氏に提供して、この大事業の完成に援助を惜まれざらん事を希望するものである。
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これだけの意気込みの下に始められた「日本將棋史稿」でしたが、残念ながら「第一篇御城將棋篇」14回までで未完のまま終わりました。名稿といわれていますが、御城将棋だけでは片鱗を見せたというところでしょう。
おかもとさんの三宅青夢記事リストに見るように、最終第14回を掲載した1938年5月号以後も三宅青夢の記事は頻繁に掲載されているので、病気とか將棋日本社との確執とかでもないようで中断の理由が理解できません。

 (注1)東京將棋連盟結成   1924年
     日本將棋連盟に改組  1927年
     將棋大成會に改組    1936年
     日本將棋連盟に改組  1947年
 (注2)実力制名人戦の発足  1935年
 
 

Re: Re:三宅青夢

 投稿者:おかもと  投稿日:2013年 8月19日(月)16時07分42秒
返信・引用
  管理人さま

「将棋日本」のご確認、どうもありがとうございました。

Google booksで「三宅青夢」を検索したところ、森銑三著作集(中央公論社)がヒットしたので、詳細を確認してきました。

●三宅鏙吉
森銑三著作集 続編 第14巻 p.308 「読書日記」昭13.2.5
森銑三著作集 続編 第15巻 p.373-374 「三古会」第43回 昭13.2.5

●三宅青夢
森銑三著作集 続編 第14巻 p.387 「読書日記」昭13.8.9

「三古会」は、渡辺刀水や森銑三が毎月開いていた会合で、昭和13年2月5日に開催された第43回の会合に三宅鏙吉は初めて出席し、「将棋史に就いて」という題で、天野宗歩について話をしたとのことです。
また、昭和13年8月9日には、三宅青夢が森銑三に「将棋日本」の4月号以降を贈呈したとのことです。

ちなみに、以前紹介した「傳記(伝記)」を発行していた伝記学会は、森銑三らが設立した会です。
 

Re:Re:三宅青夢

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 8月17日(土)17時35分31秒
返信・引用 編集済
  おかもとさん紹介の三宅青夢の記事の中に興味を引くタイトルのものがあります。国会図書館に行ったら見てみます。

投稿文の最後に書かれている1937.1以前の記事について、分かっていることを書きます。
1937.3月号に中島富治が「日本將棋史稿」開始の辞を述べていますが、その中に随筆「將棋勿忘草」のことが出てきます。「Re:三宅青夢」の冒頭に「將棋勿忘草」が2回見えますが、これは連載で、以前から始まっているのかもしれません。
管理人は「将棋日本」を2号(1934.11)から31号(1937.4)までの間の9冊だけ飛び飛びにもっていて、そのうち8冊が国会図書館にない28号(1937.1)以前です。当たってみたところ、三宅青夢名の記事は皆無でした。8/27で余り意味ないですが、一応ご報告。

なお、中島富治の文は将棋史の編纂記述にかける志を熱く表明している文で、長くなければ全文ここに紹介したいくらいです。
三宅青夢といえば、天理図書館に棋書を譲渡したこととか、二本榎上行寺の大橋家法名記録を筆写したことを記憶していますが、中島稿によると、「畫伯青夢三宅鏙吉」「三宅氏は埼玉縣大宮の小杉治郎氏と共に將棋史研究の双壁であって、同時に將棋文献収藏の大家である。」とあります。
 

Re: 三宅青夢

 投稿者:おかもと  投稿日:2013年 8月12日(月)13時52分20秒
返信・引用 編集済
  国会図書館は、「将棋日本」という雑誌を、28号(1937.1)から60号(1939.10)まで所蔵しています。
「国立国会図書館サーチ」で検索したところ、三宅青夢による記事が出てきたので、これもリストにしてみました。
有名な「日本将棋史稿」は、1937.3から1938.5まで14回の連載だったようです。

著者「題名」雑誌名. 年月, 巻号, ページ

1937(昭和12)年
三宅靑夢「將棋勿忘草」将棋日本. 1937.1, 28, p.26-27.
三宅靑夢「將棋勿忘草」将棋日本. 1937.2, 29, p.31.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1937.3, 30, p.18-21.
三宅靑夢「將棋史稿」将棋日本. 1937.4, 31, p.16-24.
三宅靑夢「將棋史稿」将棋日本. 1937.5, 32, p.24-29.
三宅靑夢「將棋史稿」将棋日本. 1937.6, 33, p.22-29.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1937.7, 34, p.22-27.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1937.8, 35, p.10-17.
靑夢畫人「京たよう」将棋日本. 1937.8, 35, p.42.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1937.9, 36, p.20-25.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1937.10, 37, p.17-25.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1937.11, 38, p.22-27.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1937.12, 39, p.11-17.

1938(昭和13)年
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1938.1, 40, p.9-13.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1938.2, 41, p.12-17.
荒卷三之, 三宅靑夢「玄人素人熱戰録」将棋日本. 1938.2, 41, p.18-22.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1938.4, 42, p.15-21.
三宅靑夢「日本將棋史稿 14」将棋日本. 1938.5, 43, p.8-11.
三宅靑夢「盲將棋物語」将棋日本. 1938.7, 45, p.13-16.
三宅靑夢「間違つた御城將棋」将棋日本. 1938.8, 46, p.13-16.
翠邸靑夢「香煙録」将棋日本. 1938.9, 47, p.15-18.
三宅靑夢「星合伊左衞門父子」将棋日本. 1938.10, 48, p.7-10.
三宅靑夢「御城將棋雜記」将棋日本. 1938.11, 49, p.27-31.
三宅靑夢「深津種盛と荒尾成道」将棋日本. 1938.12, 50, p.5-8.

1939(昭和14)年
靑夢「二つの新發見」将棋日本. 1939.5, 55, p.13-15.
奧野基芳, 三宅靑夢「玄人素人熱戰録――角落 四段 奧野基芳 一級 中島富治」将棋日本. 1939.6, 56, p.7-10.
靑夢「米村利兵衞に就いて」将棋日本. 1939.6, 56, p.36-37.
靑夢「宮本印佐の墓を發見す」将棋日本. 1939.8, 58, p.37-38.
三宅靑夢「山脇東洋醫伯」将棋日本. 1939.9, 59, p.14-21.
靑夢「有浦印理の墓を尋ねて」将棋日本. 1939.10, 60, p.57-58.

この雑誌は1939.10で休刊になったようで、三宅青夢はその後の発表の場を「傳記」に移したようです。

なお、1937.1以前の「将棋日本」にも三宅青夢による記事が掲載されていると思いますが、残念ながら調べきれませんでした。
 

三宅青夢

 投稿者:おかもと  投稿日:2013年 8月10日(土)11時00分44秒
返信・引用 編集済
  三宅青夢は、将棋パイナップルにも書かれていますが、戦前の将棋史研究家です。

http://shogi-pineapple.com/bbs/mibbs.cgi?mo=p&fo=cls&tn=0043

「将棋日本」という雑誌に「日本將棋史稿」という記事を連載していたのは有名ですが、
「傳記(伝記)」という雑誌にも、将棋関係の記事を書いていました。
それによると、三宅青夢の本名は「鏙吉」(金へんに崔)だったようです。

以下は、「傳記」に掲載された三宅青夢の記事の一覧です。

著者「題名」雑誌名. 年月. 巻号, ページ

1940(昭和15)年
三宅鏙吉「盲棋士山崎勾當」傳記. 1940.5, 7(5), p.5-7.
三宅靑夢「和田印哲の事」傳記. 1940.6, 7(6), p.4-5.
三宅靑夢「家康枕頭の對局歟」傳記. 1940.7, 7(7), p.7-8.
三宅靑夢「顯了院と宗歩」傳記. 1940.10, 7(10), p.6-9.
三宅靑夢「雙冢記」傳記. 1940.11, 7(11), p.2-3.

1941(昭和16)年
三宅靑夢「日ヶ窪と宮村町」傳記. 1941.1, 8(1), p.29-32.
三宅靑夢「橋本蘭榮の事」傳記. 1941.2, 8(2), p.2-3.
三宅靑夢「續雙冢記」傳記. 1941.4, 8(4), p.3-5.
三宅靑夢「原喜右衛門の事」傳記. 1941.5, 8(5), p.18-20.
三宅靑夢「池田菊女の事 附、山淸、玉久の事」傳記. 1941.7, 8(7), p.17-20.
三宅靑夢「絹篩、啓蒙、其の他」傳記. 1941.8, 8(8), p.3-5.
三宅靑夢「新定大橋家過去帳」傳記. 1941.10, 8(10), p.2-4.
三宅靑夢「河原近江守の事」傳記. 1941.12, 8(12), p.4-6.

1942(昭和17)年
三宅靑夢「新定大橋分家過去帳」傳記. 1942.2, 9(2), p.5-7.
三宅靑夢「將棋所伊藤家の事」傳記. 1942.4, 9(3-4), p.6-8.
三宅靑夢「三叢將棋考 1」傳記. 1942.5, 9(5), p.5-6.
三宅靑夢「三叢將棋考 2」傳記. 1942.6, 9(6), p.7-9.
三宅靑夢「三叢將棋考 3」傳記. 1942.7, 9(7), p.6-8.
三宅靑夢「將棋番附より」傳記. 1942.10, 9(9-10), p.6-7.

追記:
「傳記(伝記)」は、伝記学会が出していた雑誌で、1934年から-1944年まで
刊行されていました。この雑誌は、 広文庫が1974-1975年に出した復刻版が
あるので、そちらを利用するのが便利だと思います。
 

大小詰物up

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月27日(土)17時39分27秒
返信・引用 編集済
  ようやく大小詰物のまとめが完成しました。1984年6月発行の『詰棋めいと』創刊号に第1稿を書いて以来、30年近くに及ぶ研究の成果です。
詰将棋としてはごく異質な世界の話ではありますが、特有のおもしろさもあります。一度ご覧ください。

誤りの指摘はもちろん、忌憚のないご意見・ご感想をお願いします。
 

Re: メタ火の鳥

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月 7日(日)15時26分21秒
返信・引用
  ありがとうございました。
確かに4四銀で詰みそうもないですね。簡単な気がしますが、どうしてこれまで見つからなかったのでしょう。
修正をすることが不可能な作者の不完全作発見はひときわ辛いものがあります。
 

メタ火の鳥

 投稿者:白海棋人  投稿日:2013年 7月 5日(金)21時45分11秒
返信・引用
  超長編作品リスト67番「メタ火の鳥」(墨江酔人作)(作意835手詰:早詰め)
ですが作意50手め△4四とのところ△4四銀で不詰めではないかと感じています。
いきがかり上▲同馬で詰ますしかないのですが以下は

△同 角    ▲2二銀    △同 銀    ▲同桂成  △同 角 となり、

馬を取った角が2二の地点まで利いてくるので銀を手にいれても逆効果。
さらに角をわたしてしまうと飛金送りの手筋も成立しなくなり、
以下どうあがいても手は続きません。ご参考まで
 

古棋書調査の成果

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 4月 4日(木)11時47分35秒
返信・引用
  詰パラ3月号の「詰将棋の散歩道」に古棋書調査の協力お願いを書いたところ、数人の方から申し出がありました。関東・中部・近畿・四国・九州と、偶然にして幸いなことに地域も広く散らばってくれました。
メールで具体的な打ち合わせをして調査に入っています。まだ調査途中の人もいますが、一部は結果が出て、「古今 詰将棋書総目録」-「情報提供のお願い-書名別」と「調査協力のお願い」からの削除につながりました。大発見があったということではありませんが、ひとつずつ疑問を解消してゆくことが大事で、そうした地道な努力に対するご褒美として時に幸運を授かるのでしょう。
さらに多くの方の調査参加をお待ちしています。
 

河内勲大小詰物 懸賞出題結果

 投稿者:角 建逸  投稿日:2013年 3月16日(土)10時14分50秒
返信・引用
  ★今回出題した両題は、平成24年8月開催の第2回たま研課題作「大小詰物」への応募作。手数がやや長いのと収束に若干の乱れがあることもあり、「詰パラ」出題作品には選ばなかったのだが、そのままではもったいないということで、磯田氏のご厚意でWEB公開となった。将来キーワードである「大小詰物」で検索すれば、この結果稿に到達する方もいるのではないかと信じたい。
★さて年末~正月にかけて解答募集をしたのだが、残念ながら解答者はわずか2名。「おもちゃ箱」掲示板にもお知らせを出したのだが、たぶんこのHPをご覧になった方の多くは、初形を見て、少し考えて、そして自力で解くのは諦めたのではないかと推測する。初形曲詰作家・河内勲氏の力作2題、解いてない方も手順を盤に並べていただければと思う。
★なお、肝心の大小詰物の説明については、本稿では割愛する。詳しくは安武利太氏の「詰パラ」平成24年12月号の結果稿ならびに、同氏のブログ「ベイと祭りと詰将棋」同年12月29日付「たま研作品展全総評掲載」をぜひご参照いただきたい。

①「大」
55銀、同金、64金、43玉、35桂、同と、
44歩、42玉、43銀、同角、同歩成、同玉、
21角(イ)32歩合、同角成、同玉、35飛(ロ)33歩合、
44桂、43玉、54金打、同金、同金、同玉、
64と、43玉、54金、42玉、43歩、51玉、
52歩、62玉、63と、71玉、61桂成、同玉、
51歩成、71玉、61と、同玉、52桂成、71玉、
(A)62と、81玉、85飛、92玉、82飛成
まで47手詰
<変化>
(イ)32桂合は、同角成、同玉、35飛、34歩合、33金、同玉、55角、23玉、15桂以下。
(ロ)34歩合は、33金、同玉、55角、24玉、25金以下。

★まずは「大」の字。盤面駒数12枚、さらに「攻方=小、玉方=大」という制約の上での創作だから、手順は二の次になってしまうと解説子のような凡人は思うのだが、職人はうまく手順を積み上げていく。
★あらすじとしては、(1)玉を3筋に呼んで35飛の実現、(2)玉を8筋に誘導し85飛から詰み、というもの。言葉にすると単純に聞こえるかもしれないが、実際は変化も多く簡単ではない。14手目桂合の変化(イ)、18手目34歩中合の変化(ロ)など、一応詰まさないといけない。
小林巧「手数は長いが、特別難しい紛れはなく、すんなりと解けた。玉が44、33の位置に来るのは、いずれも55角が決め手になるので、玉は下へ逃げるしかない」(★お強い)
占魚亭「8手目と20手目の変化を読みきるのに苦労しました。手数が分かっていなかったら、間違えたかも知れません」
★初形曲詰の弱点を挙げるとすれば、玉方の変化が多くなりがちなこと、そして攻方の好手が入れにくいことかと思う。本作は飛車の活用ということで、手順に一本筋が通っており、47手の長手数とはいえ、さわやかな印象を与えるように思う。
★残念なのは冒頭でも述べた収束のキズ。43手目(A)62成桂とし、81玉に72成桂以下の余詰が成立している。条件を鑑みて小キズとしたいが、やはりここがなければというところである。なお、解答者が2名と寂しかったので、棋友に短評をお願いした。以下に掲載する。
飯尾晃「35飛を実現させるまでが大変。させてからも大変だが、積木崩し的手順はうまい」
利波偉「全然詰みそうに見えないが、35桂から44歩で拠点を作って角を奪って21角打ちで打開するとは予想外。収束余詰は痛いがこの条件では止む無しと思う」
安武利太「37飛を世に出すまでの応酬の、底知れぬ奥深さ。これは本当に初形曲詰なのか? あぶり出ししか創れない自分には、何故これほどの手順が正算で引き出せるのか、不思議でなりません。自分の理解を超えた世界です」

②「小」
45銀打、同馬、同銀、同玉、56金(イ)36玉、
57金、27玉、36角、38玉、47角、39玉、
48銀、同玉、58金、39玉、57角、28玉、
37銀、18玉、19歩、同玉、89飛、18玉、
19歩、17玉、35角、16玉、28桂、27玉、
36銀、37玉、39飛、28玉、29飛、37玉、
27飛まで37手詰
<変化>
(イ)34玉は、45角、33玉、25桂、32玉、54角、31玉、81飛成、51歩合、同竜、同金、32歩以下。

★続いて「小」の字。こちらは「攻方=大、玉方=小」と前作と完全に対に仕上げたのがすごい。確かに12枚というのは、大・小といった簡単な漢字を表すのにちょうど良いくらいの駒数ではあるが。
★5手目56金がちょっと打ちにくい手。6手目36玉と入玉を目指してくる玉方に対し、攻方の飛も角も生駒なのと、トドメの金も早々に手放してしまうため、ウナギを手づかみするように、玉はぬるぬると結構長く逃げ回る。これを余詰のような単なる追い手順と見るか、飄々として面白いと見るか。それによって評価はガラリと変わる作品と言える。最後は、ちょっと前に打った桂を邪魔駒消去風に消して幕。
占魚亭「2枚角の力で玉を隅に追い込む」
★小林氏は6手目34玉の変化別詰を答えて×。この変化(イ)を詰ますために、53歩や52金に意味が生じているわけだ。以下は助っ人の短評。
飯尾晃「56金は両作通じての最難手だが、以下は手になっているものの面白味はない」
利波偉「不動駒が多く、余詰手順のような追い廻しで詰みますが、条件の厳しさを考えれば、詰むだけで凄いと思う」
安武利太「中央に取り残される駒が多い、途中から最長手順探しになるなど欠点も目立ちますが、 「大」を見た後ではかえってホッとしたりします。これは間違いなく人間が創った作品だ――そう思えるからでしょう」

【総評】
利波偉「大小詰物になっていて初形が大・小というダブル趣向は河内氏ならではで、実力を見せつけたといって良い作品群でした」
安武利太「2題とも自力で解ける難易度ではなく、作意を鑑賞したうえでの感想ということでご容赦ください。それにしても、3重の難条件を易々とクリアして、高度なレベルに仕上げる作者の創作力には、驚嘆する他なし。「大」は収束の乱れさえなければ…それだけが本当に惜しまれます」
★縁あって一昨年に河内氏の第二作品集「ひより草」を出版させてもらった。「初形曲詰って一体どうやって作るのか」という当初からの疑問は、編集作業を重ねるうちに徐々に薄れていった。河内氏は盤上で遊んでいる中で、大体どういう駒なら詰みになるのかを知っているのではないかと思えたからだ。経験によって、盤上を把握しているのだと。職人である。
★もちろん詰みすぎたり、ちょっと足りなかったりということもあるだろう。その場合には的確な処置を施せばよい。角の長い足をうまく使い、桂などの「つなぎ」の駒を利用して、詰みやすい形を構築していくのは、ある意味作者の「芸」なのだと思う。
小林巧「おもちゃ箱を見ていたら、偶然♪この出題を発見しました。たまたま、お正月は暇なので解答してみました」
★貴方はえらい! 解答をいただいた小林巧・占魚亭両氏には、昨年(平成24年)に解説子が発行した「信濃路」(赤羽守氏作品集)を進呈。
小林巧「手許にある「おくろう記」はあの門脇氏が全詰連ブックスの映えある第一号出版にした位なのだからスゴイだろうとは思うのだが、初形を見て安心してしまうのと、やたら手数が長い物が多いせいで、ほとんど積ん読状態です。これを機にちょっとからかって見ようかなって思います」
★どうやって創作しているのか、それを推測していくと、初形曲詰を何倍も楽しめるはず。ぜひご鑑賞あれ。(了)
 

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