teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. ブランド スーパーコピー(0)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


Re: 「有卦に入る」将棋図

 投稿者:おかもと  投稿日:2013年 8月28日(水)09時34分53秒
返信・引用
  管理人さま

おもしろい絵をありがとうございました。これは「有卦絵」といわれるものですね。
※参照「有卦絵」(コトバンク)
※参照「福神・縁起物・金のなる木 有卦絵」(貨幣博物館)

「有卦絵」は、福に通じる「ふ」の字のついたものが7つ描かれるそうですが、
この絵では、以下の7つのようです。

1. 瓠(ふくべ)=ひょうたん
2. 福助
3. 福禄寿
4. ふくむすめ
5. 歩(将棋の駒)
6. 芙蓉の花
7. 福寿草
 
 

「有卦に入る」将棋図

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 8月27日(火)13時34分16秒
返信・引用
  おかもとさんの解説から思い出す「有卦に入る」「歩七ツ」図があるのでご紹介します。
『将棋世界』平成13年1月号「浮世絵の中の将棋」に載った1枚です。
自分は知らなかったのですが、越智信義さんの解説によると、「干支を一回りし生れ年の辛酉にかえった61歳の長寿の賀を祝う絵」とのことです。
十一代宗桂の作品(を含めた一枚)と同じ主旨で同じような趣向ですね。

 

Re: 十一代宗桂の詰将棋?

 投稿者:おかもと  投稿日:2013年 8月26日(月)22時26分32秒
返信・引用 編集済
  管理人さま

お返事、どうもありがとうございました。
30年以上前の詰パラをひっぱり出して確認しました。たしかに、篠原のぼるさんがこの
作品のことを書かれていました。よくご存じですね~

# 詰将棋データベースT-BASEには、懸賞問題とかの作品は収録されていますが、こうした
# 文中の作品は収録していないらしく、T-BASEにないと未発表、と早合点してしまいました。

ただ、篠原さんは

> 本局は、明治の中期『時事新報』誌上に、小野五平名人が、修正して出題したとの
> 記録がありますが、筆者は、残念ながら未見です。

と書かれていて、どの程度修正したかわからないので、順番としては

1. 『将棋誥書』の単片 天保14(1843)年 「宗桂」
2(?). 『時事新報』 明治中期? 小野五平修正?
3. 『将棋詰手集 弐』 明治35(1902)年 作者不詳
4. 『将棋新報』 大正12(1923)年 「十一代宗桂」

となるのかな、と思います。


さて、この作品の紙の上部には、以下のように書かれています。

> 天保十四卯
> 年二月十八日
> 有氣ニ入歩
> 七ツ之作物

天保14年の卯年、旧暦の2月18日はもうすぐ春分(2月23日)の春めいてきた日。
そして「有氣」とは何かと思ったら、これは「有卦」と同じで、「有卦に入る」は
縁起の良い年回りになるといった意味になるんだそうです。
また、「歩」は「ふ」で福に通じるそうで、「有卦に入る」と良いことが7年続く
そうなので、このあたりをひっかけて「歩七ツ之作物」なのかもしれません。
※参照:有卦(Wikipedia)


この作品の詰手順は以下の通りです。

13と直、21玉、22と、同玉、33歩成、11玉、12歩、21玉、31と、同玉、41歩成、21玉、
31と、同玉、42と寄、21玉、32と寄、12玉、22とまで19手詰

・初手の13と直は23と右でもよく、非限定。
・3手目22とのところ、31と、同玉、41歩成、21玉、22と以下の手順前後が成立。
・また、初手23と右とすると、3手目22とのところ、32と、11玉、22と、同玉の
 迂回手順が成立。

と、いうことで、今の目でみると作品的には少々難があるようです。
まあ、「宗桂戯作」だから、仕方ないのかな。

# 追記
もし、この作品が十一代宗桂の「有卦に入った」祝いの席で作られた作品だとしたら、
そのお祝いに出席した大橋家の門弟(複数)が知っていた作品なのかもしれませんね。
 
 

Re: 十一代宗桂の詰将棋?

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 8月24日(土)21時32分16秒
返信・引用 編集済
  > No.164[元記事へ]

おもしろい報告をありがとうございました。

ただ残念なことに、この図は過去に発表されていました。『詰将棋パラダイス』昭和56年12月号に篠原のぼるさんが「江戸時代の小駒図式」連載の中で純トウフ図式の1号局として挙げています。明治35年の写本『将棋詰手集 弐』に作者不詳で出ていて、その後大正12年の『将棋新報』に十一代宗桂とあるとのことです。
『将棋誥書』の単片は既出の2件よりさらに源流を遡る貴重な発見です。2件の筆者はこれを見たのでしょうか。それとも別にルーツがあるのでしょうか。
 

十一代宗桂の詰将棋?

 投稿者:おかもと  投稿日:2013年 8月23日(金)22時00分30秒
返信・引用 編集済
  以前、管理人さまが紹介してくれた、野田市立図書館の「将棋関係貴重書」をみていて、
ちょっとおもしろいものをみつけました。

78 将棋誥書(しょうぎつめがき)

本の内容は桑原君仲「将棋玉図」の解答なのですが、途中に詰将棋を書いた紙がはさまっているのです。

http://www.library-noda.jp/homepage/digilib/shogi/img/0078/012.jpg

作品の内容は、豆腐図式のミニ煙19手詰で、岡村孝雄さんの「海雪」の収束と同じ筋です。

そして、この紙には「天保十四卯年二月十八日」「宗桂戯作」と書かれています。
天保十四年は1843年で、この年に「宗桂」と名乗っていたのは十一代の大橋宗桂です。

つまり、この作品は、十一代大橋宗桂の詰将棋なのでしょうか?
 

中島富治「日本將棋史稿に就いて」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 8月20日(火)18時30分18秒
返信・引用 編集済
  「将棋日本」に連載された三宅青夢「日本將棋史稿」は1937年3月号から始まりました。その号に載った中島富治の開始の辞を転載します。

「将棋日本」は1934年10月号から1939年10月号まで60号発行された大判の雑誌で、創刊号以来毎月2~6題の詰将棋を懸賞出題しています。プロ棋士が中心でしたが、有馬康晴、土屋健、大橋虚士、綿貫英助、清水晶など「將棋月報」で活躍した人の名前が見えます。

筆者の中島富治は元イギリス駐在武官も務めた海軍軍人で、退役後日本将棋連盟(注1)の顧問になり、関根名人と共に実力制名人戦の発足(注2)に功のあった人です。「将棋日本」の創刊に当たって編集顧問に就いていました。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
【日本將棋史稿に就いて】
 日本將棋は一千年の歴史を有して居る。今日の軆制を成してからでも?に四百年。此間國民の生活と離るべからざるまでに根強い根底を作って居るのである。然るに今日迄之れと云う纏まった將棋の歴史の論述せられたることなきは甚だ不思議で且つ遺憾に堪えない處である。當今屢々興味本位の或は賣本本意の史實を發表して愧ぢざるものあるは一つはこの正確なる史實の編纂なきによるものである。將棋もこゝまで來た。どうしてもその歴史を明らかにし、今後の發展に備へねばならぬ。この事は自分が多年考へて居る處ではあるが今以て其の機會を得ることが出來なかった。いつか小菅冠峯翁もこの必要を力説せられ、流石はと自分を感激せしめたのであった。この事業は當然將棋大成會でやるべきものであるが、結成後何かと煩忙に暮れて容易にその運びに到りそうもない。然るに幸いにも、眞に幸いにも、こゝに大特志家が現はれた。それは畫伯青夢三宅鏙吉氏である。
 三宅氏は埼玉縣大宮の小杉治郎氏と共に將棋史研究の双壁であって、同時に將棋文献収藏の大家である。同氣相求めて兩氏は甚だ懇親、常に所藏を展いて智識を交換して居らるゝ。棋界の爲めに眞に結構なことである。
 三宅氏四段樋口善雄君と特別昵懇である。自分は樋口君の紹介によりて、昨年來三宅氏宅に御懇意を願って居る。本誌上の随筆「將棋勿忘草」はこの懇意の所産である。
 一日三宅氏と懇談會々棋史編纂の緊要なるに及んだ、その結果氏はこの際之れが遂行の大事業に奮起すべき決心を申出でられた。願ってもない結構な事なので自分も直ちに賛成して、何かと協力を吝まざるべきを契ったのである。かくして棋道ありて以來はじめて本格的なる棋史の編纂は緒に就いたのである。この著述は差當り本誌上に號を追ふて發表せらるゝことゝなった。この第一筆が本號に掲げられた金玉の文字「日本將棋史稿」である。この事業は素より二年や三年で完了するものではないが、こゝにはじめて日本將棋が立派な歴史の記述を有し得る確信を得たのであって自分の歡喜は例ふるに物もない程である。讀者は、將棋愛好家は悉くこの擧を喜んで下さるこゝと思ふ。
 三宅氏に感謝すると共に、世の好棋家が所藏を秘する事なく、之れを同氏に提供して、この大事業の完成に援助を惜まれざらん事を希望するものである。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

これだけの意気込みの下に始められた「日本將棋史稿」でしたが、残念ながら「第一篇御城將棋篇」14回までで未完のまま終わりました。名稿といわれていますが、御城将棋だけでは片鱗を見せたというところでしょう。
おかもとさんの三宅青夢記事リストに見るように、最終第14回を掲載した1938年5月号以後も三宅青夢の記事は頻繁に掲載されているので、病気とか將棋日本社との確執とかでもないようで中断の理由が理解できません。

 (注1)東京將棋連盟結成   1924年
     日本將棋連盟に改組  1927年
     將棋大成會に改組    1936年
     日本將棋連盟に改組  1947年
 (注2)実力制名人戦の発足  1935年
 

Re: Re:三宅青夢

 投稿者:おかもと  投稿日:2013年 8月19日(月)16時07分42秒
返信・引用
  管理人さま

「将棋日本」のご確認、どうもありがとうございました。

Google booksで「三宅青夢」を検索したところ、森銑三著作集(中央公論社)がヒットしたので、詳細を確認してきました。

●三宅鏙吉
森銑三著作集 続編 第14巻 p.308 「読書日記」昭13.2.5
森銑三著作集 続編 第15巻 p.373-374 「三古会」第43回 昭13.2.5

●三宅青夢
森銑三著作集 続編 第14巻 p.387 「読書日記」昭13.8.9

「三古会」は、渡辺刀水や森銑三が毎月開いていた会合で、昭和13年2月5日に開催された第43回の会合に三宅鏙吉は初めて出席し、「将棋史に就いて」という題で、天野宗歩について話をしたとのことです。
また、昭和13年8月9日には、三宅青夢が森銑三に「将棋日本」の4月号以降を贈呈したとのことです。

ちなみに、以前紹介した「傳記(伝記)」を発行していた伝記学会は、森銑三らが設立した会です。
 

Re:Re:三宅青夢

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 8月17日(土)17時35分31秒
返信・引用 編集済
  おかもとさん紹介の三宅青夢の記事の中に興味を引くタイトルのものがあります。国会図書館に行ったら見てみます。

投稿文の最後に書かれている1937.1以前の記事について、分かっていることを書きます。
1937.3月号に中島富治が「日本將棋史稿」開始の辞を述べていますが、その中に随筆「將棋勿忘草」のことが出てきます。「Re:三宅青夢」の冒頭に「將棋勿忘草」が2回見えますが、これは連載で、以前から始まっているのかもしれません。
管理人は「将棋日本」を2号(1934.11)から31号(1937.4)までの間の9冊だけ飛び飛びにもっていて、そのうち8冊が国会図書館にない28号(1937.1)以前です。当たってみたところ、三宅青夢名の記事は皆無でした。8/27で余り意味ないですが、一応ご報告。

なお、中島富治の文は将棋史の編纂記述にかける志を熱く表明している文で、長くなければ全文ここに紹介したいくらいです。
三宅青夢といえば、天理図書館に棋書を譲渡したこととか、二本榎上行寺の大橋家法名記録を筆写したことを記憶していますが、中島稿によると、「畫伯青夢三宅鏙吉」「三宅氏は埼玉縣大宮の小杉治郎氏と共に將棋史研究の双壁であって、同時に將棋文献収藏の大家である。」とあります。
 

Re: 三宅青夢

 投稿者:おかもと  投稿日:2013年 8月12日(月)13時52分20秒
返信・引用 編集済
  国会図書館は、「将棋日本」という雑誌を、28号(1937.1)から60号(1939.10)まで所蔵しています。
「国立国会図書館サーチ」で検索したところ、三宅青夢による記事が出てきたので、これもリストにしてみました。
有名な「日本将棋史稿」は、1937.3から1938.5まで14回の連載だったようです。

著者「題名」雑誌名. 年月, 巻号, ページ

1937(昭和12)年
三宅靑夢「將棋勿忘草」将棋日本. 1937.1, 28, p.26-27.
三宅靑夢「將棋勿忘草」将棋日本. 1937.2, 29, p.31.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1937.3, 30, p.18-21.
三宅靑夢「將棋史稿」将棋日本. 1937.4, 31, p.16-24.
三宅靑夢「將棋史稿」将棋日本. 1937.5, 32, p.24-29.
三宅靑夢「將棋史稿」将棋日本. 1937.6, 33, p.22-29.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1937.7, 34, p.22-27.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1937.8, 35, p.10-17.
靑夢畫人「京たよう」将棋日本. 1937.8, 35, p.42.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1937.9, 36, p.20-25.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1937.10, 37, p.17-25.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1937.11, 38, p.22-27.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1937.12, 39, p.11-17.

1938(昭和13)年
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1938.1, 40, p.9-13.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1938.2, 41, p.12-17.
荒卷三之, 三宅靑夢「玄人素人熱戰録」将棋日本. 1938.2, 41, p.18-22.
三宅靑夢「日本將棋史稿」将棋日本. 1938.4, 42, p.15-21.
三宅靑夢「日本將棋史稿 14」将棋日本. 1938.5, 43, p.8-11.
三宅靑夢「盲將棋物語」将棋日本. 1938.7, 45, p.13-16.
三宅靑夢「間違つた御城將棋」将棋日本. 1938.8, 46, p.13-16.
翠邸靑夢「香煙録」将棋日本. 1938.9, 47, p.15-18.
三宅靑夢「星合伊左衞門父子」将棋日本. 1938.10, 48, p.7-10.
三宅靑夢「御城將棋雜記」将棋日本. 1938.11, 49, p.27-31.
三宅靑夢「深津種盛と荒尾成道」将棋日本. 1938.12, 50, p.5-8.

1939(昭和14)年
靑夢「二つの新發見」将棋日本. 1939.5, 55, p.13-15.
奧野基芳, 三宅靑夢「玄人素人熱戰録――角落 四段 奧野基芳 一級 中島富治」将棋日本. 1939.6, 56, p.7-10.
靑夢「米村利兵衞に就いて」将棋日本. 1939.6, 56, p.36-37.
靑夢「宮本印佐の墓を發見す」将棋日本. 1939.8, 58, p.37-38.
三宅靑夢「山脇東洋醫伯」将棋日本. 1939.9, 59, p.14-21.
靑夢「有浦印理の墓を尋ねて」将棋日本. 1939.10, 60, p.57-58.

この雑誌は1939.10で休刊になったようで、三宅青夢はその後の発表の場を「傳記」に移したようです。

なお、1937.1以前の「将棋日本」にも三宅青夢による記事が掲載されていると思いますが、残念ながら調べきれませんでした。
 

三宅青夢

 投稿者:おかもと  投稿日:2013年 8月10日(土)11時00分44秒
返信・引用 編集済
  三宅青夢は、将棋パイナップルにも書かれていますが、戦前の将棋史研究家です。

http://shogi-pineapple.com/bbs/mibbs.cgi?mo=p&fo=cls&tn=0043

「将棋日本」という雑誌に「日本將棋史稿」という記事を連載していたのは有名ですが、
「傳記(伝記)」という雑誌にも、将棋関係の記事を書いていました。
それによると、三宅青夢の本名は「鏙吉」(金へんに崔)だったようです。

以下は、「傳記」に掲載された三宅青夢の記事の一覧です。

著者「題名」雑誌名. 年月. 巻号, ページ

1940(昭和15)年
三宅鏙吉「盲棋士山崎勾當」傳記. 1940.5, 7(5), p.5-7.
三宅靑夢「和田印哲の事」傳記. 1940.6, 7(6), p.4-5.
三宅靑夢「家康枕頭の對局歟」傳記. 1940.7, 7(7), p.7-8.
三宅靑夢「顯了院と宗歩」傳記. 1940.10, 7(10), p.6-9.
三宅靑夢「雙冢記」傳記. 1940.11, 7(11), p.2-3.

1941(昭和16)年
三宅靑夢「日ヶ窪と宮村町」傳記. 1941.1, 8(1), p.29-32.
三宅靑夢「橋本蘭榮の事」傳記. 1941.2, 8(2), p.2-3.
三宅靑夢「續雙冢記」傳記. 1941.4, 8(4), p.3-5.
三宅靑夢「原喜右衛門の事」傳記. 1941.5, 8(5), p.18-20.
三宅靑夢「池田菊女の事 附、山淸、玉久の事」傳記. 1941.7, 8(7), p.17-20.
三宅靑夢「絹篩、啓蒙、其の他」傳記. 1941.8, 8(8), p.3-5.
三宅靑夢「新定大橋家過去帳」傳記. 1941.10, 8(10), p.2-4.
三宅靑夢「河原近江守の事」傳記. 1941.12, 8(12), p.4-6.

1942(昭和17)年
三宅靑夢「新定大橋分家過去帳」傳記. 1942.2, 9(2), p.5-7.
三宅靑夢「將棋所伊藤家の事」傳記. 1942.4, 9(3-4), p.6-8.
三宅靑夢「三叢將棋考 1」傳記. 1942.5, 9(5), p.5-6.
三宅靑夢「三叢將棋考 2」傳記. 1942.6, 9(6), p.7-9.
三宅靑夢「三叢將棋考 3」傳記. 1942.7, 9(7), p.6-8.
三宅靑夢「將棋番附より」傳記. 1942.10, 9(9-10), p.6-7.

追記:
「傳記(伝記)」は、伝記学会が出していた雑誌で、1934年から-1944年まで
刊行されていました。この雑誌は、 広文庫が1974-1975年に出した復刻版が
あるので、そちらを利用するのが便利だと思います。
 

レンタル掲示板
/24