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十一代宗桂作豆腐図式に先達論考あり

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 9月 8日(日)22時29分23秒
返信・引用
  どうもいけません。失礼しました。

福田稔さんから連絡があって、十一代宗桂作の豆腐図式のこと、それに関連して「酉八月五日」の有卦絵のこと、その両方について、福田さんが「詰研会報」昭和57年11月号から4回にわたって詳細に論述されていました。豆腐図式については「將棊詰手集」以後のことで、現野田市立図書館蔵の単片のことは視野に入っていない状態での考察です。

「詰研会報」には管理人がペンネームで「詰パラ」に連載していたコ-ナーで篠原さんの記事を引用していることも書かれていました。
つまり、篠原「詰パラ」S56.12→管理人「詰パラ」S57.6→福原「詰研会報」S57.11という流れの中で、管理人は自分のこと、福田さんのことをすっかり忘れて篠原さんのことだけをこの掲示板に報告していたのでした。
 
 

Re: 十一代宗桂が「有卦に入る」のは

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 8月30日(金)17時49分51秒
返信・引用 編集済
  > No.169[元記事へ]

おかもとさん、ありがとうございました。
有卦絵とか、7つの「ふ」とか知らないことばかりでした。
将棋の有卦絵が、還暦祝いと違って12年に一度回ってくる有卦入り祝いと分かったこともよかったです。
 

十一代宗桂が「有卦に入る」のは

 投稿者:おかもと  投稿日:2013年 8月28日(水)10時26分30秒
返信・引用
  今回、十一代宗桂の詰物を書いた紙をみつけたわけですが、そこに書かれた「有卦に入る」とはどういうことか、ちょっと調べてみました。

まず、「有卦」については、以下のサイトを参照しました。

※参照「気になる言葉 「有卦(無卦)」」(落語大好き)

これによると、江戸時代には「有卦に入る」とお祝いをしたようです。そうなると、十一代宗桂が「有卦に入る」のはいつかというのが問題になりますが、そのためには、まず十一代宗桂の五行(木・火・土・金・水)の性を知る必要があります。

十一代の大橋宗桂は、文化元年(1804)の生まれです。
この文化元年は十干十二支でいうと「甲子」で、「気になる言葉 「有卦(無卦)」」にある表をみると、「金」の性であることがわかります。

金性の人は、卯年・卯月・卯の日に有卦に入るようですが、今回見つかった紙にある日付は「天保14年2月18日」なので、この日がそれに該当するかチェックします。

まず、天保14年は、この紙に書いてあるとおり「卯年」です。

次に、「卯月」は、ふつう陰暦の4月のことですが、天保14年の暦を確認したところ、「卯月」は2月であることがわかりました。

※参照「寛政暦. 天保14年」(早稲田大学図書館)

そして、2月18日ですが、この暦の2月18日の項をみると、一番下に「金姓の人うけニ入」と書かれていて、ドンピシャです。

以上のことから、金性の人である十一代宗桂は、天保14年2月18日に有卦に入ることが確認できました。

今回見つかった紙は、「気になる言葉 「有卦(無卦)」」に書かれている

> 「有卦の年回りになると「ふ」の字の付く物を七つ集めて祝い事(有卦振る舞い)をした。」

に沿ったもので、将棋家らしく「歩」を7枚使った詰将棋で「有卦に入る」お祝いしたということなのでしょう。
 

Re: 「有卦に入る」将棋図

 投稿者:おかもと  投稿日:2013年 8月28日(水)09時34分53秒
返信・引用
  管理人さま

おもしろい絵をありがとうございました。これは「有卦絵」といわれるものですね。
※参照「有卦絵」(コトバンク)
※参照「福神・縁起物・金のなる木 有卦絵」(貨幣博物館)

「有卦絵」は、福に通じる「ふ」の字のついたものが7つ描かれるそうですが、
この絵では、以下の7つのようです。

1. 瓠(ふくべ)=ひょうたん
2. 福助
3. 福禄寿
4. ふくむすめ
5. 歩(将棋の駒)
6. 芙蓉の花
7. 福寿草
 

「有卦に入る」将棋図

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 8月27日(火)13時34分16秒
返信・引用
  おかもとさんの解説から思い出す「有卦に入る」「歩七ツ」図があるのでご紹介します。
『将棋世界』平成13年1月号「浮世絵の中の将棋」に載った1枚です。
自分は知らなかったのですが、越智信義さんの解説によると、「干支を一回りし生れ年の辛酉にかえった61歳の長寿の賀を祝う絵」とのことです。
十一代宗桂の作品(を含めた一枚)と同じ主旨で同じような趣向ですね。

 

Re: 十一代宗桂の詰将棋?

 投稿者:おかもと  投稿日:2013年 8月26日(月)22時26分32秒
返信・引用 編集済
  管理人さま

お返事、どうもありがとうございました。
30年以上前の詰パラをひっぱり出して確認しました。たしかに、篠原のぼるさんがこの
作品のことを書かれていました。よくご存じですね~

# 詰将棋データベースT-BASEには、懸賞問題とかの作品は収録されていますが、こうした
# 文中の作品は収録していないらしく、T-BASEにないと未発表、と早合点してしまいました。

ただ、篠原さんは

> 本局は、明治の中期『時事新報』誌上に、小野五平名人が、修正して出題したとの
> 記録がありますが、筆者は、残念ながら未見です。

と書かれていて、どの程度修正したかわからないので、順番としては

1. 『将棋誥書』の単片 天保14(1843)年 「宗桂」
2(?). 『時事新報』 明治中期? 小野五平修正?
3. 『将棋詰手集 弐』 明治35(1902)年 作者不詳
4. 『将棋新報』 大正12(1923)年 「十一代宗桂」

となるのかな、と思います。


さて、この作品の紙の上部には、以下のように書かれています。

> 天保十四卯
> 年二月十八日
> 有氣ニ入歩
> 七ツ之作物

天保14年の卯年、旧暦の2月18日はもうすぐ春分(2月23日)の春めいてきた日。
そして「有氣」とは何かと思ったら、これは「有卦」と同じで、「有卦に入る」は
縁起の良い年回りになるといった意味になるんだそうです。
また、「歩」は「ふ」で福に通じるそうで、「有卦に入る」と良いことが7年続く
そうなので、このあたりをひっかけて「歩七ツ之作物」なのかもしれません。
※参照:有卦(Wikipedia)


この作品の詰手順は以下の通りです。

13と直、21玉、22と、同玉、33歩成、11玉、12歩、21玉、31と、同玉、41歩成、21玉、
31と、同玉、42と寄、21玉、32と寄、12玉、22とまで19手詰

・初手の13と直は23と右でもよく、非限定。
・3手目22とのところ、31と、同玉、41歩成、21玉、22と以下の手順前後が成立。
・また、初手23と右とすると、3手目22とのところ、32と、11玉、22と、同玉の
 迂回手順が成立。

と、いうことで、今の目でみると作品的には少々難があるようです。
まあ、「宗桂戯作」だから、仕方ないのかな。

# 追記
もし、この作品が十一代宗桂の「有卦に入った」祝いの席で作られた作品だとしたら、
そのお祝いに出席した大橋家の門弟(複数)が知っていた作品なのかもしれませんね。
 
 

Re: 十一代宗桂の詰将棋?

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 8月24日(土)21時32分16秒
返信・引用 編集済
  > No.164[元記事へ]

おもしろい報告をありがとうございました。

ただ残念なことに、この図は過去に発表されていました。『詰将棋パラダイス』昭和56年12月号に篠原のぼるさんが「江戸時代の小駒図式」連載の中で純トウフ図式の1号局として挙げています。明治35年の写本『将棋詰手集 弐』に作者不詳で出ていて、その後大正12年の『将棋新報』に十一代宗桂とあるとのことです。
『将棋誥書』の単片は既出の2件よりさらに源流を遡る貴重な発見です。2件の筆者はこれを見たのでしょうか。それとも別にルーツがあるのでしょうか。
 

十一代宗桂の詰将棋?

 投稿者:おかもと  投稿日:2013年 8月23日(金)22時00分30秒
返信・引用 編集済
  以前、管理人さまが紹介してくれた、野田市立図書館の「将棋関係貴重書」をみていて、
ちょっとおもしろいものをみつけました。

78 将棋誥書(しょうぎつめがき)

本の内容は桑原君仲「将棋玉図」の解答なのですが、途中に詰将棋を書いた紙がはさまっているのです。

http://www.library-noda.jp/homepage/digilib/shogi/img/0078/012.jpg

作品の内容は、豆腐図式のミニ煙19手詰で、岡村孝雄さんの「海雪」の収束と同じ筋です。

そして、この紙には「天保十四卯年二月十八日」「宗桂戯作」と書かれています。
天保十四年は1843年で、この年に「宗桂」と名乗っていたのは十一代の大橋宗桂です。

つまり、この作品は、十一代大橋宗桂の詰将棋なのでしょうか?
 

中島富治「日本將棋史稿に就いて」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 8月20日(火)18時30分18秒
返信・引用 編集済
  「将棋日本」に連載された三宅青夢「日本將棋史稿」は1937年3月号から始まりました。その号に載った中島富治の開始の辞を転載します。

「将棋日本」は1934年10月号から1939年10月号まで60号発行された大判の雑誌で、創刊号以来毎月2~6題の詰将棋を懸賞出題しています。プロ棋士が中心でしたが、有馬康晴、土屋健、大橋虚士、綿貫英助、清水晶など「將棋月報」で活躍した人の名前が見えます。

筆者の中島富治は元イギリス駐在武官も務めた海軍軍人で、退役後日本将棋連盟(注1)の顧問になり、関根名人と共に実力制名人戦の発足(注2)に功のあった人です。「将棋日本」の創刊に当たって編集顧問に就いていました。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
【日本將棋史稿に就いて】
 日本將棋は一千年の歴史を有して居る。今日の軆制を成してからでも?に四百年。此間國民の生活と離るべからざるまでに根強い根底を作って居るのである。然るに今日迄之れと云う纏まった將棋の歴史の論述せられたることなきは甚だ不思議で且つ遺憾に堪えない處である。當今屢々興味本位の或は賣本本意の史實を發表して愧ぢざるものあるは一つはこの正確なる史實の編纂なきによるものである。將棋もこゝまで來た。どうしてもその歴史を明らかにし、今後の發展に備へねばならぬ。この事は自分が多年考へて居る處ではあるが今以て其の機會を得ることが出來なかった。いつか小菅冠峯翁もこの必要を力説せられ、流石はと自分を感激せしめたのであった。この事業は當然將棋大成會でやるべきものであるが、結成後何かと煩忙に暮れて容易にその運びに到りそうもない。然るに幸いにも、眞に幸いにも、こゝに大特志家が現はれた。それは畫伯青夢三宅鏙吉氏である。
 三宅氏は埼玉縣大宮の小杉治郎氏と共に將棋史研究の双壁であって、同時に將棋文献収藏の大家である。同氣相求めて兩氏は甚だ懇親、常に所藏を展いて智識を交換して居らるゝ。棋界の爲めに眞に結構なことである。
 三宅氏四段樋口善雄君と特別昵懇である。自分は樋口君の紹介によりて、昨年來三宅氏宅に御懇意を願って居る。本誌上の随筆「將棋勿忘草」はこの懇意の所産である。
 一日三宅氏と懇談會々棋史編纂の緊要なるに及んだ、その結果氏はこの際之れが遂行の大事業に奮起すべき決心を申出でられた。願ってもない結構な事なので自分も直ちに賛成して、何かと協力を吝まざるべきを契ったのである。かくして棋道ありて以來はじめて本格的なる棋史の編纂は緒に就いたのである。この著述は差當り本誌上に號を追ふて發表せらるゝことゝなった。この第一筆が本號に掲げられた金玉の文字「日本將棋史稿」である。この事業は素より二年や三年で完了するものではないが、こゝにはじめて日本將棋が立派な歴史の記述を有し得る確信を得たのであって自分の歡喜は例ふるに物もない程である。讀者は、將棋愛好家は悉くこの擧を喜んで下さるこゝと思ふ。
 三宅氏に感謝すると共に、世の好棋家が所藏を秘する事なく、之れを同氏に提供して、この大事業の完成に援助を惜まれざらん事を希望するものである。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

これだけの意気込みの下に始められた「日本將棋史稿」でしたが、残念ながら「第一篇御城將棋篇」14回までで未完のまま終わりました。名稿といわれていますが、御城将棋だけでは片鱗を見せたというところでしょう。
おかもとさんの三宅青夢記事リストに見るように、最終第14回を掲載した1938年5月号以後も三宅青夢の記事は頻繁に掲載されているので、病気とか將棋日本社との確執とかでもないようで中断の理由が理解できません。

 (注1)東京將棋連盟結成   1924年
     日本將棋連盟に改組  1927年
     將棋大成會に改組    1936年
     日本將棋連盟に改組  1947年
 (注2)実力制名人戦の発足  1935年
 

Re: Re:三宅青夢

 投稿者:おかもと  投稿日:2013年 8月19日(月)16時07分42秒
返信・引用
  管理人さま

「将棋日本」のご確認、どうもありがとうございました。

Google booksで「三宅青夢」を検索したところ、森銑三著作集(中央公論社)がヒットしたので、詳細を確認してきました。

●三宅鏙吉
森銑三著作集 続編 第14巻 p.308 「読書日記」昭13.2.5
森銑三著作集 続編 第15巻 p.373-374 「三古会」第43回 昭13.2.5

●三宅青夢
森銑三著作集 続編 第14巻 p.387 「読書日記」昭13.8.9

「三古会」は、渡辺刀水や森銑三が毎月開いていた会合で、昭和13年2月5日に開催された第43回の会合に三宅鏙吉は初めて出席し、「将棋史に就いて」という題で、天野宗歩について話をしたとのことです。
また、昭和13年8月9日には、三宅青夢が森銑三に「将棋日本」の4月号以降を贈呈したとのことです。

ちなみに、以前紹介した「傳記(伝記)」を発行していた伝記学会は、森銑三らが設立した会です。
 

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